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1940年横浜市に生まれる。1958横手高等学校卒 1960テレビ技術専門学校卒。 |
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1960年岩波映画監督 吉田六郎(下記※参照)に師事、昭和天皇の研究を基に制作した科学映画「那須高原の植物」「海の生物誌」(生物映画研究所製作)などの撮影助手として関わり撮影技術、自然への関わりかた、映像製作などに多くの示唆を得る。 |
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1969年以降フリーカメラマンとなり東映株式会社と契約、教育、科学映画の企画、脚本、演出撮影にあたる。 |
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1979年ホタルを通して自然保護を訴えた映画「ゲンジボタル」を自主製作、この映画をきっかけに<秦野のホタルを守る会>を立ち上げる。1989年環境省が選定した<ふるさと生き物の里100選>に選ばれる。以降20年以上に渡って地元の自然保護活動に関わる。 |
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1993年世界唯一の<カブトガニ博物館>〜岡山県笠岡市の展示映像を受注製作、これを機に、ネイチャーシネプロ(有)を設立。作品は科学技術映像祭、動物愛護優秀映画コンクール、教育映画祭でそれぞれ大臣賞を受賞。 |
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1993年以降フイルムによる製作は皆無となり代わって、ビデオ制作の時代となる。 |
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フイルム、及びビデオ作品暦参照。 |
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吉田六郎は 北海道大学教授雪氷学者、中谷宇吉郎に師事し、一生の間に多くの科学映画を残したが、特筆すべきは雪の結晶のスチール撮影に優れた才能を発揮した。独自の接写照明技術により、雪の結晶の撮影法を確立、その照明法を〜吉田の照明法<一光源二色光源法>と称する。 |
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1985年3月、私は吉田六郎が行なった北海道大雪山旭日岳に於ける雪の結晶の撮影に同行、雪室での顕微鏡にによる撮影を手伝いこのとき吉田の照明〜法一光源二色光源法の技術を伝授される。 |
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私は吉田六郎の雪の結晶の撮影法〜吉田の照明法<一光源二色光源法>の伝承者であり、この技術を才能のある弟子に伝える義務があると考えている。 |
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